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4-1.(mis)understanding self-management

4-1-18 支配者文化:システム変革を超えて(Dominator culture: changing systems is not enough)

これまでの動画で語ってきた誤解は、“自主経営は全員の平等を目指している”という誤解です。
しかし、本来の目標は支配者のための階層制を排除して、自然発生的な階層を推奨することです。目標は全員が均等な力を得ることではなく、全員が全力を発揮できるようになることです。

自主経営では誰もが力を持っているので、何かを変えたいと思ったらそれを実現する手段があります。助言プロセスなどの意思決定手段を活用できるのです。その影響は巨大で計り知れません。誰もが全力で貢献できるなんて歴史的な進歩です。

しかし、いくつかの組織でわかってきたのは、会社の仕組みを変えて助言プロセスなどの慣行を導入するだけでは全員が100パーセントを発揮するとは限らないということです。その社員たちは、組織文化を内面化していたため自主経営システムになっても支配や圧制が続いていたのです。

例を出しましょう。私は男性で白人の中産階級の男です。どう育てられたかと言うと“あれをやろう”と先頭に立って率いることが良しとされました。周りも評価してくれます。
一方、女性として育ったり有色人種や労働階級として生まれ育った場合は違った経験をしたことでしょう。
女性だった場合、先頭に立つことを歓迎されなかったかもしれません。会議で発言を遮られた女性は実に多いはずです。あるいは何か提案しても反応がなかったのに、10分後に男性が同じことを提案したら周りは“素晴らしい案だ”と反応したりします。ある女性は通したい大切な案を自分に代わって仲間の男性に提案してもらったそうです。バカげているし、とんでもないことです。

人はさまざまな形に条件づけられて育ちます。あまり力を示そうとするなと刷り込まれる人もいます。そのためシステムを変えても組織の文化が変わらぬままで、自分の力を示そうとしなかったり力を示そうとする人がいても組織から必要なサポートが得られなかったりします。
たとえば女性や有色人種の人が一歩踏み出して助言プロセスを活用しても、得られる助言が同じではないかもしれません。白人男性が同じ相談をした場合と助言が変わるのです。

サイモン・モント氏が書いた興味深い記事がネットで読めます。
彼は人による条件の違いという観点から、ホラクラシーや自主経営の流行を手厳しく批判しました。支配層以外の文化に無自覚だと言うのです。その指摘は正しいと思います。
多くの人や私が主に目を向けているのは、組織の構造や慣行そしてプロセスです。もちろんそれらは重要ですが、システムを変えたとしても内面化された支配と抑圧の文化は変わりません。

そのためシステムの変革に取り組み始めたときにとても重要なのが組織内で美しくオープンな会話を持つことです。文化について話すのです。

たとえば女性たちや有色人種やマイノリティの人たちや労働者階級の出身者や特定の訛りを持つ人、そして障害を持つ人は最大限の力を出すことをどんな形で妨げられている?
どんな風に“力を示すな”と刷り込まれている?どうすれば力を発揮してもらえる?
これはとても重要で素晴らしい会話です。

一方で難しい会話でもあります。
初めのうちの典型的な反応として、私のような特徴を持つ人たちつまり白人中産階級の男性は文化の違いを否定します。会話は互いに耳を傾けて全体性を実現する機会なので、ファシリテーターの力を借りるのも1つの手です。
私のような属性の人にとって大切なのは周りのストーリーを聞いて気づきを得ることです。“初めて知った。今さら気づいて申し訳ない”と言うでしょう。

だいたいその後に訪れるのが“不安”の期間です。
この状態には私も陥るでしょう。正しくあろうとして気にしすぎてしまうんです。自分の発言をすべて点検して、女性や有色人種の人と話すときや会議で誰かを遮ったときに考えてしまうのです。
“女性だから遮った?”
“夢中だったから男性でも遮った?男でも遮るべきではないけど…”
あれこれ考えてしまうので、しばらくは難しい期間になります。それも悪いことだとは思いません。女性やマイノリティは長く難しい状況だったのだから私のような属性の人が数週間混乱したって構いません。全然マシです。

もちろん期間が長すぎると非生産的なのでその状態から抜け出す案を1つ紹介しましょう。2つの相反する考えを受け入れてみるのです。2つの真実がありどちらも正しいと考えてみましょう。

1つの真実は誰もが違う個性を持った人間だということです。
この私フレデリックは美しく素晴らしい人間であり、あなたも素晴らしく、ミランダも独自の個性を持つ素晴らしい人間です。私は“白人中産階級の男”としか見られないのは嫌です。それは私のほんの一面です。“ラテン系女性”はミランダの一部にすぎません。だからそれぞれの個性を尊重しましょう。

その一方で、別の認識や尊重も必要です。
人は文化に形作られていて育ちや人生経験によって形作られています。どの身分に属しどの身分だと見られ自己認識するかに影響されます。私が育ってきた過程も、女性に生まれていたらまったく違うものだったでしょう。

子供たちに読み聞かせをするとき私は何度も文章を変えました。『ハリー・ポッター』はひどくて、毎回こうです。
“女の子は叫びました”
“男の子たちは戦います”
まだこんな調子なのです。私の子供たちすらそんな考えに形作られます。
“男が先頭に立ち女は後ろで控える”
こうした文化の影響を認めることも重要です。

どちらも事実なのです。この2つを理解するために会話する仕組みを導入しましょう。
そして何より大切なのは批判的にならないことです。女性や有色人種や労働階級の人たちが力を示そうとしなくても責めないでください。

一方でその反対も避けましょう。支配的な地位にいることも責められません。その人たちはそう教育され価値観として刷り込まれたのです。

互いのことを認めましょう。会話を持つことで互いの長所や刷り込まれた価値観を理解しましょう。そうすれば理想に近づいていくはずです。
自主経営のもと誰もが存分に力を発揮して、思い切り自分の力を表現できるのです。そのときはきっと世界が変わります。

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