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4-1.(mis)understanding self-management

4-1-1 あなたにとって自主経営とは?(What does self-management mean for you?)

自主経営への認識は様々です。多くの人は次のように考えています。
“自主経営は他より優れた組織化の方法だ。組織のメンバーにより大きな決定権が与えられ、決断の質や早さが向上しモチベーションも上がり、シンプルに他より優れている”。
このように権限移譲の一種と考えられている場合が多いです。

その認識は何も間違っていませんが、私の捉え方は少し違うので、自主経営に関する別の認識をいくつか紹介します。参考にしてみてください。

1つ目は、他より優れた運営手段と考えるのではなく、自分が希望する唯一の手段だと考えることです。
従来の階層型組織の中心には、誰かが誰かより力を持つという考えがあります。私があなたの上司なら私はあなたへの力を持つ。私があなたの意見の評価や採用を決める。昇給も私が決めるし、昇進や希望する業務への参加も私が決める。仕事の継続かクビかを決めるのも私で、あなたへの支配力がある。

一方で自主経営の核心にあるのは、誰かが誰かの上に立つことはないという考えです。
パワー・オーバー(上からの力)からパワー・ウィズ(共に力を持つ)に変えるのです。自主経営においてはゼロサムゲームになりません。従来は私の力が増せばあなたの力が減る。
しかし、自主経営では驚くべきことに、あなたの力が増せば私の力も増します。あなたは力が増すと、多くの活動に率先して取り組み、組織の存在目的に貢献します。それが私にも良い機会となり、負けじと率先して取り組み、私の力も増していきます。

自主経営には革新的な側面があります。パワー・オーバーからパワー・ウィズへの移行です。
そして個人的には決して、もう二度と上からの力を行使されたくありません。“力を合わせた自主経営”という考えは私には画期的なものです。
同じように、もう二度と自分が上に立って力を行使する立場にもなりたくありません。誰に対してもです。そうした力の行使は、人間関係を悪化させます。それはとても醜いことです。こうした状況は自然に反していると思います。

長い歴史を振り返ると、おそらく人類の歴史の95〜98パーセントにおいては階層のない小さな集団で暮らしていました。年長者や物知りの意見に耳は貸せども、支配関係はありませんでした。階層や支配とはここ数千年の出来事であり人類史のごくわずかな期間です。
私の考えでは、階層や支配とは人間にとって不自然なものです。おそらく私たちは記憶のどこか深い部分で、これは求める形ではないと感じたり、自然に反すると感じているのです。考えてみると、階層制はとても醜い正当化を伴います。もともと不自然な制度だからです。私が組織の上層部で周りへの支配力を持っていたら、自分のなかで正当化を図るはずです。

こうした制度を自然なものと感じるためには、自分が周りより優れていると考えねばなりません。自分は優秀で、周りは劣っていると考える必要があるのです。
たとえば自分は周りより頭が良いとか、周りより勤勉だとか、遺伝子が違うとか、とにかく差別化が図られます。自分が上で、周りが下である理由が必要なのです。こうした考えは双方にとって忌まわしいものです。自分が下の立場だった場合、上より劣った存在だと考えてしまう。そんなメッセージを組織からも受け取ります。

多くの組織には権威を象徴するものがあります。
たとえば上層部だけの特別ルールや角部屋のオフィスや社用車などです。それらは納得させるための装置です。階層制は正当なもので、優れた人が上に立つと思わせてこの不自然なシステムを維持しているのです。

私は給与体系にもよく疑問を感じます。普通のことと思われていますが、階層が上の人ほど給与も高くなっています。劇的に高いこともあります。
たとえばメンバーに比べて5倍、10倍、20倍あるいは400倍もの給与を受け取っている。これは不自然です。自分がとても重要な人間であり、周りは替えが効くと考えてしまいます。

私はよく、この給与体系を逆にしてはどうかと考えます。たくさんのお金を支払って退屈で単調な仕事をしてもらうのです。
たとえば工場での毎日の重労働。延々と同じ作業で心が麻痺する大変な仕事です。こうした仕事がCEOより高給であるべきです。給与が倍だから工場で働くと言うCEOはいるでしょうか?誰もいないでしょう。だから妥当のように感じます。
充実した仕事であるほど給与は低く、退屈で単調な仕事ほど給与を上げる。私は筋が通った考えだと思います。より良いのは、必要に応じた額を支払うことでしょう。どのような職種であれ、育児や介護をしている人は私より高い給与が必要です。地位は関係ありません。

これらは思い切ったアイデアです。
やがて移行していくでしょうが、いまだに自主経営の組織でも給与は能力と結びついています。現状ではそれが限界でしょう。それでも私は、この新しく大胆な観点を提案したいのです。
倫理観やインテグリティ(誠実さ)という観点から自主経営を考えると、私は唯一この方法なら組織をつくったり、組織で働いてみたいと思えます。

3つ目の認識はこうです。“自主経営は最も自然な組織のつくり方だ”またしても人類の歴史で考えると、階層制は誕生してほんの数千年のシステムです。多くの人は言います。
“自主経営なんて勘弁だ。昔もこの先も階層制でいい”
それは誤解です。階層制がない方が人類には自然なのです。人類は個々の力を合わせて(パワー・ウィズ)何十万年も狩猟採集を実行してきました。そちらの方が自然であり、ごくわずかな期間の階層制こそ不自然です。さらに人類史を超えて考えると、やはりそこでも分かるのは何十億年も生命の営みは自主経営的だったことです。

前に書いたものを見つけたので読みたいと思います。

“自主経営とは驚きの新発明などではありません。何十億年も続く生命と同じ営みです。人知を超えた壮大で複雑な生物や生態系を生んでいます。自己組織化は生命のカギであり、エネルギーを集約して混沌の片隅に秩序を生みつつ、適応と学習を阻害することもない。生態系も、身体も、脳もすべては同じ仕組みです。
複雑適応系という概念があります。多くの人はこれが21世紀の科学であり、古いニュートン的科学に代わるものだと考えている。自主経営も複雑適応系の考えに根ざしています”。

つまり自主経営とは、ようやく私たちが何十億年も進化や生命を支えてきた自然界の原則を組織の形成に活かしたものなのです。私の考えがヒントになればと思います。
“自主経営は他よりマシ”という認識でも構いません。いま以上のやる気や質の高い決断を引き出し、それぞれを信頼するというのは確かです。

他にも2つ別の視点があります。
自主経営は“自分が働きたい唯一の形だ”という認識です。“パワー・オーバー(上からの力)”の醜さから離れられるからです。3つ目は“最も自然な組織化の方法”という認識です。これは、はるか昔の人類が築いていた組織の形であり、何十億年も生命が営んできた形と言えます。

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