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場とつながりの大冒険〜ソース原理探求編①キング・オブ・スラッカー(怠け者)の気づき(ソースの病理の解説付き)
ティール組織の探求を進めていく上で、ソース原理の学びは欠かせない。しかし、同時にソース原理とは何なのかを簡潔に言うことは難しい。学ぶことで有益なことは間違いなく言えるのだが、短く整理して伝えるのが難しいのだ。例えるなら「水」と言う存在を知らない異星人に「水」のことを説明するようなもんだ。「飲み水です」とか「温めて入ると気持ちよくてリラックスするんですよー」とか「植物を育成するのに欠かせない」、「洗い物に使うんです。」とか何かの表現をすると一定のバイアスが入ってしまう。その多面性や奥行きは伝えきれない歯痒さがある。なので、「ソース原理に関する簡単に理解できるページはないですか」とたくさんのリクエストをもらっているが、なかなかペンが進まないのである。
そこで、今日は私(編集長、嘉村賢州)自身がソース原理とどう出会い、どう学びを進め、どう誤解をし、どこにその深淵さで感動したのか?についてストーリーで語ろうと思う。そうすることでロジックでは説明できないソース原理の豊かさが伝わるかもしれないと言う試みだ。ここ数年は本当にソース原理にどっぷり浸ってきた。学んでも学んでもその奥深さに魅了されている日々で、是非その感動を伝えていきたい。
Index
ステファン・メルケルバッハが日本にやってきた!!
2023年年末年始はステファン・メルケルバッハのイベント・ワークショップ三昧であった。ステファン・メルケルバッハはピーター・カーニックが提唱したソース原理に関する初めての書籍「Little red book about source(2024年翻訳本発売予定)」を執筆した著者である。自身の学校校長とその引き継ぎの時の経験でソース原理を好きになり、研究と普及活動を進めている。ステファンの特徴は溢れんばかりのソース原理への愛情と学校教育で養われたと思われる説明のわかりやすさ、そしてユーモアである。
2023年の7月にスイスにて、Flaming Heart株式会社の青野英明さんとともステファンとピーターの4日間ワークショップを行った。青野さんと私ともどもワークショップに参加するのは初めてだったので、企画者でありつつも一般の参加者同様にお金を支払っての参加となった。参加費はそれなりに高額で飛行機代も合わせると100万円近くかかるコースとなり、中身次第ではちょっと反発する参加者もいるかもしれないという不安を抱えていたが、実際のそのスイスでのワークショップは予想をはるかに超える素晴らしいものであった。(この高額なワークショップであるという特徴も実はソース原理を説明する上で、一つの欠かせないエピソードとなっているが、それはまたいつか記事にしたいと思う。)スイスの広大な自然やステファンのコーディネートする素敵なランチやディナーはもちろん、ワークショップの内容も秀逸であった。
実は、ステファンは日本が大好きである。ワークショップでは毎日のようにステファンの好きな俳句を読み上げ、締めも俳句。ついには最終日の宿題が「日本に帰国したら、感想を俳句にしてステファンに提出する」になったぐらいである。そんなステファンに終了後、日本に来ませんかと青野さんとオファーしたら、早速行きたいとおっしゃっていただき、年末年始のワークショップが実現した。スイスのワークショップの参加者から2社がスポンサーになのりをあげ、そのスポンサーの人たちのセッションが2回、スイスのワークショップに参加した人向けのアドバンスの2日間のワークショップが1回、初めての人用のスイスの4日間の凝縮版の2日間のワークショップ、そしてエントリーの1日講座が行われた。
ソース原理を学ぶなら抑えておきたい知恵「ソースの病理」
これらの来日で共に過ごした約10日間は非常に学び豊かなものになった。その中でも参加者にも非常に影響を与えた知恵がソースの病理に関するものである。この記事ではその解説と共に私個人の体験を語っていきたいと思う。
⓪ソースの無知
イニシアチブ(プロジェクトと捉えてもよい)がうまくいかない時、これからお話しするソースの病理にかかっていることが多いのだが、それ以前にソース原理を知らないことによって生まれてるイニシアチブの停滞要因を「ソースの無知」という。ソース原理の存在をそもそも知らないことで、イニシアチブのソースを定めてなかったり、複数のソース役を置こうとしてしまったり、その他ソース原理の知恵を活用できていない状態である。もう、読者の皆様はソース原理に触れ始めているので、この「ソースの無知」という病理にはかからないことになる(笑)
①ソースの否定者
その次はソース原理を知ったは良いものの、自分はソース役なんて向いていないとか、このグループにはソース役はいないよねとか、一人で立つのは不安だから共同でやりたいなど、ソースであることやソース原理でみることを否定するあり方である。イニシアチブにおけるソースの役割は非常に大きく、そのソース役が自己や原理を否定してしまうことでイニシアチブが停滞してしまうことは非常に多い。
②ソースの怠け者
イニシアチブのソースとして自覚が生まれ始めたとしても、次の二種類の病理にハマってしまうことは多い。その一つが「ソースの怠け者」である。何らかの理由でソースの役割である(1)起業家:リスクをとること:(2)ガイド役:次の一歩を示すこと(3)保護者:フィールドの境界線を守ることを怠っている状態である。見た目上は、ソース役として臆病であったり、やる気が起こらなかったり、対峙しているものにたいして関わらなかったり、逃げてしまっている状況である。
③ソースの暴君
その逆も病理である。ソース役のエゴが強すぎるゆえに、上からの押し付けや抑圧。イニシアチブとして無謀な策をとりすぎる。過剰な自分にはできるという思い込みなどである。こういった病理に陥ると、フィールドの中で役割を分け合ったサブソースたちの活動領域に介入しすぎたり、暴走したりと、彼らの潜在性を発揮する機会を奪ってしまう可能性が出てくる。集合知も得られにくくなりイニシアチブも停滞していくだろう。
ソースの怠け者と暴君は言い換えると片方がエゴが少なすぎ、もう片方がエゴが大きすぎるとも言える。これらを両極として実際はスライダーのように行ったり来たりするのが普通であろう。そして、ここで重要なのは、「どちらかになってはいけない」と捉えるものではない、ということである。「どちらかになってはいけない」と捉えてしまうとソース役として「ああ、またやってしまった」と自己否定に陥り、場合によっては役に立つかもしれない内なる暴君性や怠け者性を活用できなくなってしまうからだ。
必要なのは無意識で陥っている病理に気づき、意識的に内なる怠け者性や暴君性を活用していくことだ。例えば大切な人が襲われていると言った時には、話し合いをしようという余裕はなく、断固とした姿勢で相手に向き合う暴君性も必要かもしれない。変化が激しい社会環境の中で現場が疲弊している時、あえてリーダーとして意識的に怠け者の役割をとり現場にスペースを生み出す必要があるかもしれない。この二つの両極をダメなものとして見るのではなく、意識的に活用していく正気(SANE)なソースとしての振る舞いが重要となるのだ。
キング・オブ・スラッカー(怠け者)としての振り返り
上記のような話をステファンから学んでいる時に、ステファンは「みんなは基本的にどっち側の人?」という質問がでた。当然のように私は怠け者側と答えたが、そうして怠け者側と暴君側がそれぞれのストーリーを語っていくうちに、かつて(そして今)の自分を客観的に見る機会になった。
キング・オブ・スラッカーとしてのわたしの振る舞い
私は思い出せば、本当に究極の怠け者(スラッカー)であったと気づく。私は何かしらプロジェクトを進める時、ほとんど自分から一緒にやろうとは誘わない。無意識で断られる恐怖があるからだと思うが、じゃあどうするかというと「ただよわせる」わけである。そのプロジェクトの魅力とか意義とかをとにかく語る。一緒に働きたいと思う人にも直接的には誘わず、ただよわせる。そうしていくうちに「関わらせてください」と言ってきてもらうのを願う。直接一人を口説くというのはせず、この指とまれ的に大勢にうったえかけることも多い。幸い、今までそのやり方でいろんなプロジェクトで仲間が見つかってきたことは今思えば驚きである。
さて、仲間が集まってチームや組織ができるわけであるが、もしかしたら普通はメンバーに仕事を割り振っていくのが多いかもしれないが、わたしがチームというものを持って以来、ほぼそういう行為をしたことはない。じゃあ、どうするか?ひたすら対話である。対話、対話、対話。そうやって自分達が目指すものを明確にし、そして必要な役割が上がってくると、「それやりたいです」とか「それやりましょうか?」という声が上がってくるのである。これが私の20年間やってきたやり方である。たぶん、暴君よりのソースの人にとっては唖然とするのではないだろうか?怠け者側の人は多少理解してくれるだろう。
それ以外の方法の良さを知ったのはわたしが結婚した時であった。二次会を運営しないといけないとなったときに、仲間と相談して進めていったのだが、その時にリクエストするというやり方を学んだ(笑)。司会をやってもらえませんか、ダンスの余興をやってくれませんか、装飾やってくれませんか等。当然、頼んでも断られることもあるわけだが、その人も含めてリクエストを送った人は基本的には光栄と喜んでもらえ、断った理由も忙しさとかそれぞれの状況があり、でも頼んだことに感謝をしてくれた。
読者の人ならわかってもらえると思うが、以前のわたしのやり方も全く悪いものではない、まさにティール組織や進化型組織の中心的なダイナミズムである自己組織化はこのようなプロセスで生まれることの方が多い、しかし、同時に全て手挙げ性にするのではなくお互いがリクエストを送り合ったり、時にお願いするプロセスも効果的であり、断る自由が担保されている状況においては機能する。
最近のわたしのチャレンジは少しだけ意識的に暴君になる感覚を養うことだ。生まれ持って培ってきた自己組織化の方法論とこのパワー寄りの方法の統合がわたしを次のステージに導いてくれると直感は呼んでいるのである。このように、私たちは無意識の状況でどちらかに偏って振る舞っていることが多い。このフレームを理解することで両極の叡智を活用することができるようになるであろう。時には自分と違う極にいる人と対話してみるのも有意義かもしれない。
2月8日 嘉村賢州
嘉村 賢州
Kenshu Kamura
集団から大規模組織にいたるまで、人が集うときに生まれる対立・しがらみを化学反応に変えるための知恵を研究・実践。研究領域は紛争解決の技術、心理学、先住民の教えなど多岐にわたり、国内外を問わず研究を続けている。
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